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 ※ 倭国(豊国)北伐考(平成28年3月21日、於 久留米大学)講演より

 倭国(豊国)北伐考

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周防灘

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▲福智山

    

 ■素戔鳥尊の豊国北伐
  (天村雲尊=矢俣の大蛇一族即ち八幡神の長を倒し建てた王朝、素戔鳥尊は天照大神=饒速日尊に滅ぼされる)

   出雲王朝 は、 安心院 を根拠地にした素戔鳥尊 天の香山 とその周辺にいた八幡神を北伐し、建てた王朝ではないか。
  また、矢俣の大蛇一族から奪った剣は八剱のはず、 八剣神社 が筑豊に濃密に分布し、大和武尊草薙の劔とも深く関わる。
  素戔鳥尊の終焉地が田川市夏吉。この 岩屋 の前で処刑された。

 ■正勝吾勝勝速日天之忍穗耳命の豊国北伐

  正勝吾勝勝速日天之忍穗耳命は、 英彦山 から降って来た場所を 吾勝野 と言った。最終的に 香春岳 の所へ行った。

   *.『日本書紀 神代下 第九段』[第二]に正勝吾勝勝速日天之忍穗耳命の降臨(天神降臨)の記述
   高皇産靈尊、因りて勅して曰はく、「吾は天津神籬及天津磐境を起し樹てて、当に吾孫の
   為に齋ひ奉らむ。汝、天兒屋命・太玉命は、天津神籬を持ちて、葦原中國に降りて、
   亦吾孫の為に齋ひ奉れ」とのたまふ。乃ち二の神に使して、天忍穗耳尊に陪從へて降す。

 ■神武第二次東征の豊国北伐

   邪馬薹國=倭(やまと)国 年表(豊国史) の118年が、神武第二次東征の豊国北伐。
   *1. 射手引神社々傳 の内容および 神武天皇・東征コース の詳細です。
   *2.『日本書紀』の記述「遂に 狭野 を越えて、熊野の神邑に至り、且ち 天磐盾 に登る。
   *3.『日本書紀』の記述「 畝傍山東南橿原地 を都と定める」、「 畝傍山東北陵 に葬りまつる

  大足彦忍代別天皇の北伐 

  播磨の国から出た大帯日子命は、周防の娑麼から渡海し、宇佐御木(豊前市)高羽(田川)緑野(添田町?)
   → 來田見(北九州市小倉南区朽網)と明らかに豊国北伐を行っている。

   *.景行天皇、和風諡号は大足彦忍代別天皇(おおたらしひこおしろわけのすめらみこと)。播磨風土記には大帯日子天皇。
   帝踏石 (北九州市小倉南区朽網西二一二八)が現実に存在。

  思國歌は、『古事記』では倭建命、『日本書紀』では大足彦忍代別天皇の歌となっている。ここに景行天皇は播磨国からの
  侵略者
であり、 倭国を防衛したのが倭建命天皇 であったことが推測される。景行天皇の北伐は失敗に終わったようである。
  白鳥の御陵の三基目は鞍手町の 古物神社 の辺りにあったことが『仁徳紀』に記されている。

  氣長足姫尊の豊国北伐 

  神功皇后は敦賀の 気比の宮 を出て、邪馬台国の王である忍熊王(先代旧事本紀に「熊坂王」、倭建命の孫に当たる)
  入水自殺に追い込む。彼の屍を探したのは「草薙の劔」を入手するためであった。
  筑紫の 末羅縣 (宮地岳神社とその周辺)の勝門比売を討つが、彼女こそ宮地岳神社の祭神であろうと思われる。
  邪馬台国(豊国)は、 三角縁神獣鏡 圏の国から出た神功天皇に滅ぼされた。
 

  神功は、紀武内宿祢(藤大臣)と婚姻し、筑後国 水沼 に皇都を建て、 紀氏王権 (=倭の五王とその前後)が成立した。
  倭王武の次の「哲」が 筑紫君磐井 に当たるようである。豊国の 継体天皇 と争って敗れ、王権は豊国へ戻る。

 ■壬申の乱 最後の豊国北伐

  大海人皇子の 吉野 からの北伐。天智天皇は破れて淡海の京( 御舘山 )を逃れて 織幡神社 の先より入水自殺をした。
  大友皇子は、山前(北九州市)で首を吊って自決した。