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  ※ 福永晋三先生の説(参考のYouTubuより)の比定地の位置を管理人の興味で示したものです。

   ・「続・真実の仁徳天皇」福永晋三

  若宮神社=斉明天皇の吉野宮


斉明天皇2年(656年・63歳) 吉野宮を作る。

 巨石を用いた吉野宮(  若宮神社  )の他の写真です。

 「道の駅やまくに」の案内板)


天武天皇も壬申の乱の前後に、吉野宮=若宮神社(大分県中津市山国町)へ行っている。

 『日本書紀 天武紀上
 天皇、東宮に勅して鴻業を授く。乃ち辞讓びて曰はく、「臣が不幸き、元より多の病有り。何ぞ能く
 社稷を保たむ。願はくは、陛下、天下を挙げて皇后に附せたまへ。仍、大友皇子を立てて、儲君とした
 まへ。臣は、今日出家して、陛下の為に、功徳を修はむ」とまうしたまふ。天皇、聴したまふ。即日に、
 出家して法服をきたまふ。因りて以て、私の兵器を収りて、悉に司に納めたまふ。
 壬午、吉野宮に入りたまふ。時に左大臣蘇賀赤兄臣・右大臣中臣金連及び大納言蘇賀果安臣等送りたて
 まつる。菟道より返る。或の曰はく、「虎に翼を着けて放てり 」といふ。是の夕に嶋宮に御します。
 癸未に、吉野に至りて居します。

  『日本書紀 天武天皇 8年(679年)』と『万葉集 27番歌』の 吉野宮 に関する記述です。

 *.理実灼然いやちこ(いいちこ)は、大分県の方言で「いい(よい)」を意味する言葉。

 <所在地のGoogleマップ>

  下記のストリートビューのポイントです。

 <Googleマップのストリートビュー>

   

  守実(もりざね)=神武・東征の地


 鞍手郡誌(昭和 9 年発行版)・射手引神社社伝による神武天皇の東征の地名。吉野の地は、応神天皇、斉明天皇も関わりがある。

   吉野の国樔(くず) の地名=玖珠(くす)町、九重(くじゅう)町に関する『日本書紀』の 神武紀(戊午の年秋八月)応神紀
   (十九年)
の記述です。

  狹野嶽(求菩堤山) に通い頭大天狗(豊前坊)及び八咫烏(求菩堤山八天狗)族と同盟を結ぶ間に、 吉野の国樔 (玖珠) 部らを
   巡撫は、「 邪馬臺国(邪馬台国)年表 」の 118年 です。

 <所在地のGoogleマップ>