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  ※ 福永晋三先生の説(参考のYouTubuより)の比定地の位置を管理人の興味で示したものです。

  射手引神社(いでびきじんじゃ)


 以下、『越境としての古代[6]』の「神武は、筑豊に東征した」より

 試みに、嘉穂郡『射手引神社』の社傳を抄録し、以下諸神社の社傳、縁起もこれに准じ、それ等の古傳説が天神イザナギ神、宗像
 三女神、天忍穂耳尊、天孫ニニギの尊、神武天皇、景行天皇と相關聯し、おのがじゝなる社傳縁起の内容が、期せずして相關係して
 ゐることに示唆を感じ、筑豊の山野-北九州の随所に、神武天皇を中心とする神社、地名が餘りに多く、しかも、それが天皇の
 御コースを語る分布を描き、神代史、古代史の時間と空間を如實に指示してゐることに注目して欲しい。文に曰く

  筑紫鎌の南端、豊前田川に接する地を山田の庄といふ、庄の東北に山あり帝王山と云ふ、斯く云ふ所以は、昔神武東征の時、豊國
  字佐島より柯柯小野に出でて天祖吾勝尊(天忍穂耳尊)を兄弟山の中峰に祭りて後、西方に國を覓め給はんとし給ふ時
    (中略)
  山上神社あり之を射手引神社と云ふ、祭る所の神三座天照大神、手力雄命、景行天皇なり、天皇(景行天皇)の御宇筑紫全島五月
  蠅の皆湧くが如し、土蜘蛛と稱する者多く山川の嶮を恃み、恣に黨類を集め、朝命を奉ぜず
    (下略)
  (射手引神社々傳)

 射手引神社は嘉麻市上山田一五三九(旧嘉穂山田町大字上山田字杉町)に鎮座するが、元は、上山田下宮の五社稲荷神社の地
 (帝王山の麓)にあった。

 殊に、「宇佐島から田川の柯(阿の誤りか)柯小野に出でて、西方に國を覓め給はんとし給ふ」の伝承こそは、「今我は是れ
 日神の子孫にして日に向ひて虜を征つは、此れ天道に逆る也。若かじ、退き還りて弱きを示し、神衹を禮ひ祭りて、背に日神の
 威を負び、影の随に壓ひ躡まん。
」の「神策」と完全に表裏一体を成すのである。

 「中洲の皇都」を西に向かって討つ、神武の神策に基づく第二次東征、すなわち「宇佐への大迂回の意義」が射手引神社社伝には
 巧まずして残されていたことになる。

 <所在地のGoogleマップ>

 <Googleマップのストリートビュー>