※ 倭国(豊国)北伐考(平成28年3月21日、於 久留米大学)講演より
織幡神社(境内に武内宿祢の沓塚)
『因幡の國 風土記逸文』 武内宿禰
因幡國風土記に云はく、難波の高津の宮の天皇の天の下知らしめしし五十五年春三月、大臣武内宿禰、御歳三百六十餘歳にして當國に
下向りまし、龜金に雙履(くつ)を残して、御陰所を知らず。蓋し聞く、因幡の國、法美の郡、宇倍山の麓に神の社といふ。
これ武内宿禰の靈なり。昔、武内宿禰、東の夷を平げ、還りて宇倍山に入りし後、終る所を知らずと。
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