※ 福永晋三先生の説(参考のYouTubuより)の比定地の位置を管理人の興味で示したものです。
・「神武は筑豊に東征した」2012.8.5 菊池市講演 福永晋三
・邪馬壹國こそなかった【九州王朝論の再構築に向けて】福永 晋三
求菩堤山(くぼてさん)=狭野嶽(さのだけ)
※ 求菩提山(くぼてさん)は、「サノダケ」⇒「仁皇岳(ニンノウダケ)」と言われていた。
求菩堤山は、英彦山、犬ヶ岳と共に修験道の山だった。
烏天狗または鴉天狗(からすてんぐ)と大天狗の伝説。烏天狗が、八咫烏(やたがらす、やたのからす)。
⇒ 頭(大天狗:豊前坊)及び八咫烏(求菩堤山八天狗)一族と同盟を結ぶ。
*.天狗(テング)の読みも「アマノイヌ」とも読める。倭奴(イヌ)国につながる。
※ 第二次東征では数ヶ月(二月~六月)間、狹野嶽(求菩堤山) に通い頭大天狗(豊前坊)及び八咫烏(求菩堤山八天狗)族と
同盟を結ぶは、「 邪馬臺国(邪馬台国)年表 」の 118年 です。
以下、『越境としての古代[6]』の「神武は、筑豊に東征した」より
筑豊は私が唱える「 天満倭国 」であり、都は、神武紀に云う「中洲」であり、竈門神社の由緒に云う「中州の皇都」である。詳細は
後述するが、まず、宇佐から英彦山へのコースが示されている。
『鞍手郡誌』の編者は、「宇佐から中津に出、山国川に沿うて耶馬溪を登られ、日田付近の守實から五里余の難路を攀じさせられて
英彦山の山頂を極めせられた」と推測している。そして、「日子山は天神天忍穂耳尊のお降りになった国見山であり、神武天皇も先ず
この山頂に於いて『国覓(くにまぎ)』を遊ばした。同山の水精石の由来にも神武五年七月云々の文字がある。」という記述が見られる。
管見するかぎり、一応合理的なコースである。
天皇獨り、皇子手研耳命と軍を帥ゐて進む。既にして皇師、中洲(なかつくに)に趣かんと欲す。而るに山の中嶮絶にして復た行く
べき路無し。棲遑ひて其の跋み渉る所を知らず。
この表現と『鞍手郡誌』の編者の示した宇佐から英彦山へのコースとは、見事に内容が合致している。「西の偏」から宇佐へ大迂回
した神武一行にとって、目指す「 中洲の皇都 」への最初の難路こそ英彦山越えに他ならないからだ。
この時、天照大神すなわち天神が遣わした道案内者こそが、頭八咫烏であったのだ。この頭八咫烏を数年追求した結果、英彦山の修験
道圏内の別山に、神武東征を裏付ける文書が現存していた。「求菩堤山縁起」である。江戸時代に書かれたものであるが、求菩提資料
館に常設展示してある、その開かれたページに次の伝承が記されている。
其の濫觴を考ふるに最初人皇嶽と号す。(中略)或ひと説きて曰く、「天地開闢し、神代巳に終る。神武天皇鋒端を揺し、中国を
平らげ、威奴の邪神を撥はしめ、九州を政(おさ)めんとす。此の嶺に到りて天神地衹を斎祭(まつ)り、僂(つつし)みて龍駕を立て
し所を狹野嶽と曰ふ。 天皇の尊号の故なり。」云々 (訓読及び傍線は筆者)
①求菩堤山の最初の名は「人皇嶽」であった。
②神武天皇が武力を以て中国=中洲(なかつくに)を平定し、威奴(いぬ)(すなわち倭奴)の邪神を払い除け、九州(天下)を治めよう
とした。
③この嶺に到り、龍駕(天子の車)を立てた(=降臨した)所を狭野嶽といい、天皇の尊号のゆえんである。(②、③は、或ひとの説。
したがって、「狭野嶽」の称が「人皇嶽」より古いことになる。
驚愕の伝承である。神武紀からこの伝承を作ることができない。むしろ、この伝承の元から神武紀は書かれたはずだ。神武の亦の名は
確かに「狭野尊」であり、神代第十一段一書(第一)に「狭野と所称(まう)すは、是、年若くしてまします時の号なり」と記してある。
特筆大書されるべきは、「頭八咫烏」が求菩提山には存在することである。求菩堤山八天狗(カラス天狗)像がそれと思われる。これも
江戸期の作であるが、求菩堤山の縁起と八天狗の像が、神武東征に関っては実に古形を留めていると云わざるを得ない。そう考えたとき
に、初めて神武紀の「遂に狭野を越ゆ」の一句が歴史事実として蘇るのである。
※ 福永晋三先生のタイトル「邪馬臺国の位置と年表」の資料 「 邪馬臺国の位置と年表改訂版 」の16ページに
『121年 邪馬台国創始。二月、論功行賞。頭八咫烏、亦賞の例に入る。 求菩提山・ 英彦山 から川水系に沿って、
今日の田川郡 赤村より 烏尾峠 辺りまでの「 飛ぶ鳥の明日香 」の地の領有を認められたしい。』
の記述があります。
※ 添田町にある高住神社(英彦山豊前坊)は、 こちら からどうぞ。
<所在地のGoogleマップ>
※ 佐賀県神埼市の八天狗山は、 こちら からどうぞ。
犬ヶ岳(いぬがたけ)
求菩提山、英彦山と共にかつては修験道の山であった。『求菩堤山縁起』の表記では、「威奴(イヌ)岳」と記載されている。
※「倭」の読みは、イ、ワ、やまと。「奴」の読みは、ド、ヌ、やつ があり、「倭奴」は「イヌ」と読む。金印の
漢委奴国王印(かんのわのなのこくおういん)の読みも「かんのいぬのこくおういん」と読むべきである。
犬ヶ岳(いぬがたけ)の地名は、倭奴(イヌ)国の名残り。
<所在地のGoogleマップ>