※ 福永晋三先生の説(参考のYouTubuより)の比定地の位置を管理人の興味で示したものです。
香春岳=倭三山(やまとさんざん)、美和(三輪・御諸)山
※ 香春岳 が倭三山であり、香春岳 一ノ岳=畝尾山、香春岳 二ノ岳=耳成山、香春岳 三ノ岳=天香山。
< 三輪山 の伝説>
三輪山は、綜麻形(紡いだ糸を環状に幾重にも巻いたもので円錐形の形)の3連山から名付けられたと考えられる事から
香春岳を比定している。
『古事記 大国主神』の中に「 倭(やまと)の青垣の東の山 」すなわち「御諸(みもろ)の山」の記述がある。⇒ 三輪山=香春岳。
< 畝尾山と耳成山 に関する記述>
一ノ岳は、『古事記 神代』の記述より三連山(三輪山)の中心の山、香山からみて畝の尾の山が、畝尾山→畝傍山。
二ノ岳は、耳成山(ミミナシヤマ)ではなく『魏志倭人伝』の記述にある副官 弥弥那利(ミミナリ)より耳成山(ミミナリヤマ)。
※ 福永晋三先生のタイトル「邪馬臺国の位置と年表」の資料「 邪馬臺国の位置と年表改訂版 」の5ページに
「香春岳
二ノ岳=耳成山の名称は、『魏志倭人伝』に記載されている副官:弥弥那利(ミミナリ)」の記述があります。
■ 正勝吾勝勝速日天之忍穗耳命の 豊国北伐 倭国(豊国)北伐考(平成28年3月21日、於 久留米大学)講演より
香春岳二ノ岳に祀られているのが、天忍骨尊(天忍穂耳命の別名)。正勝吾勝勝速日天之忍穗耳命は、 英彦山 下り
吾勝野 を経由し香春岳(南から北)へやって来た。素戔鳥尊の一族を滅ぼしたのかも知れない。
*.『日本書紀 神代下 第九段』[第六]は、天忍骨尊と記述
一書に曰はく、天忍穗根尊、高皇産靈尊の女子𣑥幡千千姬萬幡姬命、亦は云はく、高皇産靈尊の
兒火之戸幡姬の兒千千姬命といふ、を娶りたまふ。而して兒天火明命を生む。次に天津彥根火
瓊瓊杵根尊を生みまつる。其の天火明命の兒天香山は、是尾張連等が遠祖なり。
皇孫火瓊瓊杵尊を、葦原中國に降し奉るに至るに及びて、高皇産靈尊、八十諸神に勅して曰はく、
「葦原中國は、磐根・木株・草葉も、猶能く言語ふ。夜は熛火の若に喧響ひ、昼は五月蠅如す
沸き騰る」と、云々。
< 天香山 (三ノ岳)に関する記述>
『日本書紀』、『古事記』の記述にあるように天香山は、金属(銅、金、鉄)が採れる山であり、また、万葉集2番歌に
歌われているように、山に登れば海が見える事が比定地の条件。
■ 大和(奈良県)の香具山では、山に登って海が絶対に見えない。 また、金属は、一切取れない。
■ 天香山に登れば海(古遠賀湾、行橋の海)が見えたであろう地図(Flood Mapsの海面上昇(7m)地図)は、 こちら
※ 第二次東征の天香山(香春岳)攻略にかかるは、「 邪馬臺国(邪馬台国)年表 」の 118年 九月 です。
※ 福永晋三先生のタイトル『天香山事件』の資料「 天香具山争奪戦 」です。
< 出雲王朝 の成立(素戔鳥尊の 豊国北伐 )> ・・・ 倭国(豊国)北伐考(平成28年3月21日、於 久留米大学)講演より
素戔鳥尊の矢俣遠呂智退治は、安心院(須賀の宮)を出て南から北の天香山周辺の八幡神を討伐した出来事。
素戔鳥尊は、饒速日尊(天照大神)により 岩屋 の前で処刑された。
<所在地のGoogleマップ>