[天香山=香春三ノ岳:『万葉集 2番歌』の宇治天皇の国見の山]
古事記に云う、聖帝の御世が三年との記述と整合させるなら、宇治天皇三年夏四月に、天皇は再び、天の香山に登りまして国見を
なさったと考えられる。その時の歌こそが、万葉集二番の長歌と十五番の反歌と思われる。この組み合わせは、『万葉集形成の謎』
(山口博)に触発され、藤原定家の「長歌短歌之説」を参照した結果、二番歌に反歌のあったことが記録されている所から考察して
得られた、筆者独自の復元に拠る。 <『 宇治の京 』20~21ページより引用>
■ 長歌(ちょうか)は、和歌の形式の一つ。 五七、五七、…、五七、七の形式で、すなわち、五七を三回以上繰り返し、
最後を七音を加える。
⇒ 古くは必ずしも五または七でなく、字余り、字足らずになっている場合があるが、福永晋三先生によれば、
蜻蛉島(あきづしま):(5)のところは、豊(とよ)が落ちている。 豊蜻蛉島(とよあきづしま):(7)となる。
⇒ 長歌の後に歌の読み添える歌の短歌として15番歌は、万葉集の歌の左注に、
「右の一首は、今案(いまかむが)ふるに、反歌に似ず。但し、旧本(旧本)この歌を以て反歌に載す。」とあり
本来は、13番歌の反歌ではなく2番歌の反歌とした。
*.天香山に登れば海(古遠賀湾、行橋の海)が見えたであろう地図(Flood Mapsの海面上昇(7m)地図)は、 こちら
※ 福永晋三先生のタイトル『天香山事件』の資料「天香具山争奪戦」の 5ページ に「天の金山=天香山」を示しており、鉄は
「かね」または、「まがね」と読み、銅と考えるべきと ある。
※ 福永晋三先生の「万葉集 2番歌、反歌15番歌、7番歌、28番歌」についての 新解釈 です。