出来事/趣味/自然
神武朝は、中国正史に謂う「邪馬台(やまと)国」、景行紀歌謡に謂う「夜摩苔(やまと)」すなわち日中の史書に謂う「倭国(やまとの
くに)」の建国でもあり、その国は必然的に、古代の「豊国(豊前・豊後)」とその周辺である。
※ 掲載内容は、下記のYouTubeの画像と福永晋三先生の資料等を使用しています。
<YouTubuのタイトル>
■福永晋三先生2015年川崎町講演会
■真実の仁徳天皇 2015年香春町講演会(改訂版)
■邪馬壹國こそなかった【九州王朝論の再構築に向けて】福永 晋三
■「大善寺玉垂宮と久留米の古代史」 福永晋三
■「真実の仁徳天皇」福永晋三
■「神武は筑豊に東征した!」福永晋三
■神武東征と江田船山古墳の主
■「邪馬台」倭国=豊国説 平成27年3月14日(土) 福永 晋三
■「神武と魏志倭人伝」福永晋三
■「続・真実の仁徳天皇」福永晋三
■「神武は筑豊に東征した」2012.8.5 菊池市講演 福永晋三
※ 福岡県をFlood Mapsの海面上昇(7m)をした場合の地図(弥生時代の地形を再現)は、 こちら をご参照下さい。
※ 天皇家=倭(やまと)王朝は、古代豊国(とよのくに)に成立した。現代に続く「豊」の名残りとして、豊明殿(ほうめいでん)と
呼ばれる国賓を招いて行われる宮中晩餐会などの主会場となる宮中の宴会場があり、豊明殿の名称は、宮中の節会の一つ、
豊明節会(とよあかりのせちえ)から命名されている。また、壁面には、つづれ織りによる豊幡雲(とよはたぐも)の装飾がある。
*.豊国(とよのくに)は地理的には九州の北東部に位置し、現在の福岡県東部および大分県全域が相当する。豊国は、7世紀末の
文武天皇のころに、豊前国と豊後国の二つに分けられたといわれる。