※ 福永晋三先生の説(参考のYouTubuより)を興味で掲載したものです。
邪馬薹は、「ヤマト」と読む
『万葉集』、『古事記』、『日本書紀』、『続日本紀』、『続日本後紀』は、万葉仮名で書かれている。万葉仮名は、『万葉集』だけの
ものではない。
『魏志倭人伝』でも魏の使者が来た国は、倭と書かれている。倭の訓は、「ヤマト」と読む。したがって、 邪馬臺を「ヤマタイ」と
読んではいけない。「ヤマト」と読む。
『魏志倭人伝』の「倭」の記述
■ 問倭地絶在海中洲島之上或絶或連周旋可五千餘里
・・・ (倭(やまと)の地を訪問すると・・・) ⇒ 女王卑弥呼の国は、「ヤマトノクニ」
■ 制詔親魏倭王卑彌呼
※ 福永晋三先生のタイトル「邪馬壹國こそなかった -九州王朝論再構築に向けて-」の資料 「 26邪馬壹國こそなかった 」の
12ページに下記の記述があります。
万葉仮名「苔」の調査結果がある。 (中略)
底本(卜部兼右本二十八巻)でも「苔」がそのまま用いられているのは、景行天皇紀の二二番歌謡だけである。
夜摩苔波、區珥能摩保邏摩、多々儺豆久、阿烏伽枳、夜摩許莽例屢、夜摩苔之于屢破試。
倭は 國のまほらま 疊づく 靑垣 山籠れる 倭し麗し
「苔」は漢タイ、平声(上)十「灰(-ai)」の韻である。 「臺」および略字「台」と同じ韻である。これが、かの
有名な歌謡において、「と乙類」の仮名として用いられている ことから、「臺」にも-oと-aiの母音交替を予測した
のである。三世紀の「邪馬臺」に「呉音の古層」として「ヤマト」の よみがある可能性を予測したのである。
次に『続日本後紀』卷十九嘉祥二年(八四九)三月庚辰(廿六)、興福寺大法師等が仁明天皇が四十歳になったのを
祝賀して、観音菩薩像四十体を作り、『金剛寿命陀羅尼経』四十巻を写し、四万八千巻を転読した。さらに様々な吉祥の
像を贈り、長歌を副えて献上した。
其長歌詞曰、 日本乃、野馬臺能國遠 、 (後略)
上の「日本の野馬臺の國を」を、二〇一〇年当時群馬大学名誉教授の森田悌氏は、講談社学術文庫『続日本後紀』において
「ひのもとの やまとのくにを」と訓読されている。「臺」が「と」とよまれている。八四九年の仏教界においてもなお、
「臺」は万葉仮名「と」として用いられていたようだ。