[應神天皇、髪長媛(=古波儾嬢女(こはだをとめ))を太子菟道稚郎子に賜う]
<以下、『宇治の京』より引用>
三山歌の真意―妻争い
中大兄近江宮御宇天皇三山歌
(一三)高山波 雲根火雄男志等 耳梨與 相諍競伎 神代従 如此尓有良之 古昔母 然尓有許曽 虚蝉毛 嬬乎 相挌良思吉
(高山は 畝火を愛しと 耳梨と 相争ひき 神代より 此くにあるらし 古も 然にあれこそ 虚蝉も 嬬を争ふらしき)
高山(男)は畝傍山(女)を愛しいと思い、耳梨山(男)と争った。神代からこうであるらしい。昔もそのようであるからこそ、
現世の人の世でも(他人の)妻を争うらしい。
先に、妻争いに絞って解釈したが、初句「高山」は元はやはり「香山」と書かれ、「カグヤマ」であっただろう。そうして、通説
どおり、「雄男志」の表記に従えば、「香山(女)」と「耳梨(女)」が「畝火(男)」を争った歌であったようだ。
元は「夫(つま)争い」の歌と解釈して差し支えない。
これを「香山」を「高山」に、「夫」を「嬬」に替えたのではないかと思われる。これまで縷々述べてきたように、「高山」は難波
高津宮の地にあり、大鷦鷯尊を暗示する。「耳梨」は、「金野の宇治京」が香春町の宮原の辺りであるなら、耳梨山すなわち香春岳
二ノ岳の直近にあり、「菟道稚郎子」を暗示させる。そして、「畝火(嬬)」は「髪長媛」を暗示することになる。
しかも、神代の神話をモチーフとするから、庶民の妻争いなどではない。貴人の妻争いであろう。万葉集では、亡くなられた天皇を
「神」と表現することが多いから、あるいは天皇の妻争いであり、應神紀・仁徳紀の髪長媛に関する記事の内実が、その背景として
考えられていたのではないだろうか。
上の解釈が成立するなら、應神紀の歌謡の一部がようやく解決する。 前章 の「ⓍⓎ應神天皇、髪長媛を皇子大鷦鷯尊に賜う。」の
一節である。
先ずⓍの部分は「皇子大鷦鷯尊」を「太子菟道稚郎子」に復することで、古事記の時系列どおりに置いておくことができる。
問題はⓎの部分の歌謡にある。解釈を付けて並べてみよう。
道の後 古波儾嬢女(こはだをとめ)を 神の如 聞えしかど 相枕枕く
(遠い国の古波儾嬢女は恐ろしいほど美しいと噂が高かったが、今は私と枕をかわす仲になった。)
道の後 古波儾嬢女 争はず 寝しくをしぞ 愛しみ思ふ
(遠い国の古波儾嬢女が、逆らわずに一緒に寝てくれたことをすばらしいと思う。)
Ⓧの部分において、原表記どおりなら、皇子大鷦鷯尊は髪長媛の美しさを見たわけだから、Ⓨの部分の一首目で「恐ろしいほど美しい
と噂が高かった」と歌うのは不可解であり、矛盾する。
これはやはり、Ⓧの部分において、髪長媛の美しさを見た人物が、実は太子菟道稚郎子であったことが知られよう。
皇子大鷦鷯尊は太子菟道稚郎子の死後、初めて、髪長媛の美しさを見たことになる。したがって、Ⓨの部分の歌い手は本当に大鷦鷯尊と
いうことになる。
二首目の「逆らわずに一緒に寝てくれた」はいよいよ不可解である。これこそ「妻争い」の結果、強引に得た女性の、その抵抗がなかっ
たことを喜んだ歌に他ならない。
また、歌中の「古波儾嬢女(こはだをとめ)」は今日まで意味不明であったが、多分、「こはだ」は先に提出した「木幡(村)」の地の
女性という意味であろう。
この「木幡(=許の国)」に「宇治の京」があったことを考えれば、間違いなく、髪長媛は宇治天皇すなわち太子菟道稚郎子の后で
あったことが証明されているのである。
こうして、髪長媛は心ならずも、大鷦鷯天皇の又妃となられたのである。
萬葉集巻二の「君が行き」他 冒頭部の四首 (八五~八八)は、大鷦鷯の乱とも云うべき歴史事実を背景にして、宇治天皇の崩御後に
残された髪長媛皇后に仮託して読まれた連作である。