※ 福永晋三先生の説(参考のYouTubuより)の比定地の位置を管理人の興味で示したものです。
幸ノ山=高山(たかやま)⇒ 万葉集13、14番歌の訓は「かぐやま」
※ 福永晋三先生のタイトル「万葉集の軌跡-倭歌が解き明かす古代史 真実の人徳天皇-香具山に登りて望國したまふ天皇」の
資料「 宇治の京 村高完成版 」の5、6ページの『万葉集 13番、14番』の追求の記述です。
従来、三山の性別について長大な論争があるが、
後半の「妻争い」の一点に焦点を絞って解釈すると、香具山(男)は畝傍山(女)を愛しいと思い、耳成山(男)と争った。
神代からこうであるらしい。昔もそのようであるからこそ、現世の人の世でも(他人の)妻を争うらしい。
<反 歌>
香具山と耳成山とが争った時に、阿菩の大神が出雲を発って見に来た印南国原はここなのだなあ。
という大意になろう。
反歌の解釈は、『播磨国風土記』の三山相闘の伝説が関わる。
上岡の里 本は林田の里なり。土は中の下なり。出雲の國の阿菩の大神、大倭の國の畝火・香山・耳梨、三つの山相闘ふと
聞かして、此を諫め止めむと欲して、上り来ましし時、此處に到りて、乃ち闘ひ止みぬと聞かし、其の乗らせる船を覆せて、
坐しき。故、神阜と號く。阜の形、覆せたるに似たり。
『播磨国風土記』の三山「畝火・香山・耳梨」は、万葉集の「雲根火・高山・耳梨」に相当するから、一三・一四番歌の
「高山」が「かぐやま」と従来、訓まれてきた。
だが普通に「香山」あるいは「香具山」と表記すればよいところを万葉歌は「高山」と表記するから、別山であるとした。
また、「天の香山」を記紀の「赤銅を産する山」との記述から香春岳三ノ岳に、耳梨を二ノ岳に、畝火を古事記神代の
「畝尾」の表記に着目して一ノ岳に比定し得た。
さらに各地に残る「三山伝説」の典型として、恋の成就した二山は並び、恋に破れた一山は離れた場所にあるとのパターンが
存在する。その点、香春岳三山はいささか異色である。天の香山と畝尾山との間に耳梨山があるとは言え、恋に破れたらしい
天の香山はそれほど離れているとは言いがたい。
以上を踏まえて、「高山」がもしも「香山」と別山であるなら、香春岳三山から少し離れたところにあるのではないか。
そう考えて現地調査をした時に、行橋市入覚の地に「幸ノ山(一七八メートル)」を見出したのである。
高見大地氏・上川敏美氏の助けもあって、この山麓に明治期まで「高山(たかやま)」の字名が残されていることが知られた。
そこは「三山伝説」の典型どおりに、耳梨・畝火からは一山越え、北東に離れたところである。
次に、27~29ページ「三山歌の真意 - 妻争い」については、
先に、妻争いに絞って解釈したが、初句「高山」は元はやはり「香山」と書かれ、「カグヤマ」であっただろう。
そうして、通説どおり、「雄男志」の表記に従えば、「香山(女)」と「耳梨(女)」が「畝火(男)」を争った歌であった
ようだ。元は「夫(つま)争い」の歌と解釈して差し支えない。
これを「香山」を「高山」に、「夫」を「嬬」に替えたのではないかと思われる。
これまで縷々述べてきたように、「高山」は 難波高津宮 の地にあり、大鷦鷯尊を暗示する。「耳梨」は、「金野の 宇治京 」が
香春町の宮原の辺りであるなら、耳梨山すなわち香春岳二ノ岳の直近にあり、「菟道稚郎子」を暗示させる。
そして、「畝火(嬬)」は「髪長媛」を暗示することになる。
しかも、神代の神話をモチーフとするから、庶民の妻争いなどではない。貴人の妻争いであろう。
万葉集では、亡くなられた天皇を「神」と表現することが多いから、あるいは天皇の妻争いであり、應神紀・仁徳紀の 髪長媛 に
関する記事の内実が、その背景として考えられていたのではないだろうか。
『高山(大鷦鷯天皇)は畝傍山(髪長媛)を愛しいと思い、耳梨山(菟道天皇)と争った。神代からこうであるらしい。
昔もそのようであるからこそ、現世の人の世でも(他人の)妻を争うらしい。』
<所在地マップ> 幸ノ山:この山麓に明治期まで「高山(たかやま)」の字名が残されていた。