※ 福永晋三先生の説(参考のYouTubuより)の比定地の位置を管理人の興味で示したものです。
五社八幡神社=通説の仁徳天皇(大鷦鷯天皇)の難波高津宮
名は大雀命(おほさざきのみこと)(『古事記』)
大鷦鷯尊(おほさざきのみこと)・大鷦鷯天皇(おほさざきのすめらみこと)・聖帝(『日本書紀』)
難波天皇(『万葉集』)。
※ 福永晋三先生のタイトル「万葉集の軌跡-倭歌が解き明かす古代史 真実の人徳天皇-香具山に登りて望國したまふ天皇」の
資料「 宇治の京 村高完成版 」の5~7ページの難波高津宮についての記述があります。以下、抜粋。
高山 の発見後に、別の一行と再び高山を訪れたところ、西向かいに五社八幡神社を見出した。小高い丘の上に鎮座する宮である。
登ってみると、左右に回廊を備えた立派な造りの拝殿があった。
この時は、祭神も分からずに引き上げたが、数ヵ月後にまた別の一行と訪れた際に、
拝殿の一隅に質素な由緒書きがあるのに田中肇氏が気づかれた。そこには、仁徳天皇が祭神の一柱であることと、
「なぜか分からないが、聖帝伝説がこの地に伝えられている」との説明が施されていた。
その瞬間に、この宮が仁徳天皇の難波高津の宮跡であるとの確信に至った。
気がつけば、すぐ北には何度も訪れた、七~八世紀の古代寺院、 椿市廃寺 がある。そこは、著名な四天王寺式伽藍配置。
この寺こそあるいは難波四天王寺ではないかと推測される。
行橋市入覚は古代淡海の最奥部に位置し、その名残の溜池も散在する。「波立ち難し」の「難波」の地に相応しい。
<所在地のGoogleマップ>
<Googleマップのストリートビュー>