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[宇治の京の場所は、何処か]

 ※ 宇治の宮の場所は、田川道の香春町の場所のどこにあるのか?

  ■古代間道の田川道:太宰府から宇佐神宮へ至る道にある。宇治は、宇佐(菟狭=うさ)に至る道。

  ■宇治の宮(菟道宮)と大鷦鷯天皇の難波高津宮(行橋市の五社八幡神社)の距離関係については、
   『日本書紀』の記述の歩いて往復すると、鮮魚が腐る距離=20km(徒歩約5時間前後)。

 『日本書紀 仁徳紀の元年の前』の記述


 ⇒ 大鷦鷯天皇の難波高津宮(行橋市の 五社八幡神社 
   から歩いて往復する間に魚が腐る距離の位置関係で、

   田川道で 味見峠 を越えた所の香春町の何処か。

 

 『万葉集7番歌』の「宇治の京」より

 *.左注の「戊申年」は、四〇八年(宇治天皇三年)


 ⇒ 上記の『万葉集 7番歌』の金野を「あきの」と読めない。「かねの(金野)」というのは、固有名詞であり、
   その場所に「宇治の京」があった。

   金辺川(きべがわ)の金辺は、「かねのあたり」と読める。また、宮原金山遺跡がある。金山より金辺川に向かって

   行く平地の場所が、金野である。

   その金野の場所に字名が、古宮(こみや)がある。

 『山城国風土記』逸文によると宇治の地名は、許乃国(このくに)と言われていた。『日本書紀 應神紀』より

 菟道稚郎子の母:宮主宅媛(みやぬしやかひめ、宮主矢河枝比売) が、木幡(こはた)村=許乃国(このくに)の端の村の出身。

 『古事記』の「応神天皇と出会った場所:木幡村」

 『山城國風土記 逸文』

   『宇治の京』より引用


 その場所にあるのが、阿曽隈社(香春町字宮原古宮ヶ鼻)で、「宇治宮」跡地。