※ 福永晋三先生の説(参考のYouTubuより)の比定地の位置を管理人の興味で示したものです。
流末(りゅうまつ)
※ 「赤村:飛鳥川」の河川争奪が原因で川の流れが変わり、今川になった為に川の水が海に流れないで「流末」の付近で水が
溜まったので工事をした時の記述であろう。今川の河川争奪の時期は、この頃ではないか?
※ 「飛鳥川」の和歌については、 こちら をご参照下さい。
また、古事記の『仁徳天皇・矢田若郎女』の記述にある「堀江に泝り」から推測すると、現在の今川の辺に「崎野神社」が
見える。 そこから南の方にある「流末」と「 崎野神社 」の間を真っ直ぐ北に流れる今川こそが、仁徳紀に書かれた「堀江」と
思われるので、「崎野神社」の 辺りが「御津前」と考えられる。
<所在地のGoogleマップ>