※ 福永晋三先生の説(参考のYouTubuより)の比定地の位置を管理人の興味で示したものです。
崎野神社の辺り=葉濟(日本書紀)/御津前(古事記)
※ 福永晋三先生のタイトル「万葉集の軌跡-倭歌が解き明かす古代史 鷦鷯(さざき)取らさね -蔽い隠された皇位継承戦争の
悲劇-」の 資料「 鷦鷯取らさね 」の10ページに『皇后が御綱柏(みつなかしは)を投げ捨てたことによって付いた地名、書紀は
「葉濟(かしはのわたり)」、古事記は、「御津前(みつのさき)」である。名は違っても場所同じである。』の記述があります。
日本書紀の記述の「熊野岬(くまののみさき)」は、古遠賀湾の今日の飯塚市立岩遺跡直近の 熊野神社 の南端辺りとなる。
また、古事記の記述の「堀江に泝り」から推測すると、現在の今川の辺に「崎野神社」が見える。そこから南の方にある
「 流末 」と「崎野神社」の間を真っ直ぐ北に流れる今川こそが、仁徳紀に書かれた「堀江」と思われるので、「崎野神社」の
辺りが「御津前」と考えられる。
<所在地のGoogleマップ>
<Googleマップのストリートビュー>