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  ※ 福永晋三先生の説(参考のYouTubuより)の比定地の位置を管理人の興味で示したものです。

  ・「真実の仁徳天皇」福永晋三

  ・「続・真実の仁徳天皇」福永晋三

  真実の仁徳天皇」(福永晋三先生のブログ)は、  こちら  をご参照下さい。

  ※ 福永晋三先生のタイトル「万葉集の軌跡-倭歌が解き明かす古代史 真実の人徳天皇-香具山に登りて望國したまふ天皇」の
    資料「 宇治の京 村高完成版 」です。

  ※ 福永晋三先生のタイトル「万葉集の軌跡-倭歌が解き明かす古代史 鷦鷯(さざき)取らさね―蔽い隠された皇位継承戦争の
    悲劇
」の 資料「 雀取らさね 」です。

  阿曽隈社=菟道稚郎子(宇治天皇)⇒ 「宇治京」跡地


<通説>

  大鷦鷯天皇(おほさざきのすめらみこと)は、応神天皇の崩御の後、最も有力と目されていた皇位継承者の菟道稚郎子(うじの

 わきいらつこ)皇子と互いに皇位を譲り合ったが、皇子の薨去(『日本書紀』は仁徳天皇に皇位を譲るために自殺したと伝える)

 により即位したという。この間の3年は空位である。

 「人家の竈(かまど)から炊煙が立ち上っていないことに気づいて租税を免除し、その間は倹約のために宮殿の屋根の茅さえ葺き
 替えなかった」と言う記紀の逸話  民のかまど に見られるように、仁徳天皇の治世は仁政として知られ、「仁徳」の漢風諡号も
 これに由来する。

 宇治天皇が、国見をした山が、『万葉集 2番』で歌われた天香山(天乃香具山) 香春三ノ岳 

 『日本書紀 仁徳紀の元年の前』の記述

 ⇒「大宮を・・・興てて居します。」は、即位することを意味
  する。菟道(うぢ)の宮=宇治天皇の宮。

  3年間の空位となっているが、  菟道稚郎子(うぢのわき
   いらつこ)
が、宇治天皇として即位していた。

  『 播磨国風土記 』には菟道稚郎子を指すとされる「宇治天皇
  の世
」という表現が見られる。

 ※「民のかまど」の逸話に由来する業績は、空位とされる3年間
  在位した宇治天皇の業績であり、本当の「仁徳」と称される

  天皇で、通説の大鷦鷯天皇(おほさざきのすめらみこと)は「仁徳
  天皇」では無い。 

 『宇治の京』


 ※ 日本書紀の記述では、菟道稚郎子は太子であり、応神天皇の後継者として阿直伎(あちき) 王仁(わに) から典籍(経典)を
   習得している。(菟道稚郎子の 立太子 に関して、應神紀應神記の双方に大きな矛盾がある。)

 ※ 宇治の宮は、何処か?
   宇治天皇の母、宮主矢河枝比売が應神天皇に出遇ったのが「木幡村」。
   『山城国風土記逸文』に云う、「御名に因って宇治と號なづく。本の名は許乃國(このくに)と曰ひき。」の
   「許乃國(このくに)」の「」あるいは「」の村の地、すなわち「 宇治 」の地である。

   この「木幡(=許の国)」に「宇治の京」があり、宇治天皇すなわち太子菟道稚郎子の后であった髪長媛は、「木幡(村)」の  
   地の女性という意味で應神紀の歌謡(歌い手は、大鷦鷯尊)で「 古破儾嬢女 (こはだおとめ)」と詠われている。

 <所在地のGoogleマップ>

 *.「宇治宮」跡地については、著書「真実の仁徳天皇」に記載されています。

 <Googleマップのストリートビュー>