※ 福永晋三先生の説(参考のYouTubuより)の比定地の位置を管理人の興味で示したものです。
字 大原(おおばる)=「飛鳥浄御原宮」の地
飛鳥浄御原宮(あすかのきよみはらのみや、あすかきよみがはらのみや)は、7世紀後半の天皇である天武天皇と持統天皇の
2代が営んだ宮。
※ 福永晋三先生のタイトル「万葉集の軌跡-倭歌が解き明かす古代史 それは香山(かぐやま)の東にあった!」の資料
「 狂心の渠と吉野宮 」の17ページに『赤村に「 岡本 」の字名があり、 そこに「光明八幡社(三百年余り前は我鹿八幡社が
鎮座)」がある。その宮を「(後)飛鳥岡本宮」跡と比定し、その南「大原」にある貴船神社の辺りを「飛鳥浄御原宮」跡と
大胆に比定した。』とあります。
『日本書紀 天武紀下 朱鳥元年 秋七月』の記述
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