※ 福永晋三先生の説(参考のYouTubuより)の比定地の位置を管理人の興味で示したものです。
・「神武は筑豊に東征した!」福永晋三
ビワノクマ古墳=「琵琶の海の隅」の地名
九州王朝にあった宮からの海:近江、また遠江。行橋市の所は、琵琶の形をした入江(湾)になっていた隅の位置で、ビワクマ。
*.当時は海に面した土地であろう地図(Flood Mapsの海面上昇(7m)地図)は、 こちら
<所在地のGoogleマップ>
※「九州説」として、鯨(いさな)取りの海に面している場所。
・『万葉集 153番歌』
*.近江(おうみ)=遠賀湾または、行橋の入江(琵琶の海) いさなとり=くじらとり は、海の枕詞
(意訳)
近江の海、この海を、沖辺はるかに漕いで来る舟よ、岸辺に沿うて漕いで来る舟よ、沖の櫂もやたらに撥ねてくれるな、
岸の櫂もやたらに撥ねてくれるな。我が夫の思いのこもる鳥、その御魂の鳥が驚いて飛び立ってしまうから。