※ 福永晋三先生の説(参考のYouTubuより)の比定地の位置を管理人の興味で示したものです。
「倭健命と香月君」の伝承が残る杉守神社/葛城山=葛城高宮
※ 杉森神社のある岡が、「葛城山」。
※ 福永晋三先生のタイトル「万葉集の軌跡-倭歌が解き明かす古代史 鷦鷯(さざき)取らさね―蔽い隠された皇位継承戦争の
悲劇」の 資料「 雀取らさね 」の16ページに以下の記述があります。
『日本書紀 仁徳紀』の[ 歌謡五四 ]中の葛城高宮は、『 香月世譜 』を実見したことから、北九州市八幡西区上香月4‐2‐1に
鎮座する「杉守神社」の地であることが知られた。
この神社には「倭健命と香月君」の伝承が残されていて、葛城氏は「かつきし」と読むのではないかということと、北九州に
「葛城山」の残されていたこととが判明したのである。
また、神功皇后紀に登場する「葛城襲津彦」は「香月君」の子孫であり、磐之媛皇后の先祖と思われる。
<所在地のGoogleマップ>
<Googleマップのストリートビュー>