※ 福永晋三先生の説(参考のYouTubuより)の比定地の位置を管理人の興味で示したものです。
須佐神社
以下、『越境としての古代[6]』の「神武は、筑豊に東征した」より
継体天皇の故事に関しては、近くの須佐神社(旧築上郡岩屋村大字篠瀬字古屋敷)に次のような伝承が残されている。
春祭りに奏される清明楽の由来の初めの部分である。
「抑當社田樂の由來奏尋に人皇二十七代継體天皇の御宇にあたりて、犬ヶ嶽の悪鬼四方に繁亂して諸民是がために悩まされ、時に
求菩堤山行善大徳丹誠をゐきでて權現に祈、かのみょうじゅつを以狗嶽のいたゞきに封じ納て鬼神と祭る事偏に白山大權現の
靈驗いちじるしき所なり、貴賤伏して尊み嬉事限なし。依て廣前に於て楚村のゑいじを集、初て此樂を奏して神慮を清め奉、
(後略)」
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