※ 福永晋三先生の説(参考のYouTubuより)の比定地の位置を管理人の興味で示したものです。
王子神社、大字感田=「築坂邑」
以下、『越境としての古代[6]』の「神武は、筑豊に東征した」より
王子神社(直方市大字感田字八つ辻)社説に曰く、神武天皇の朝道臣神籬を起て給ひし所なりといふ。
道臣命が共通するから、感田が「築坂邑(つきさかのむら)」であろうか。
『日本書紀 神武紀』
二年の春二月の甲辰朔乙巳に、天皇功を定め賞を行ひたまふ。道臣命に宅地を賜ひて、築坂邑に居らしめたまひ、以て寵異みたまふ。
(後略)
<所在地のGoogleマップ>
<Googleマップのストリートビュー>