※ 福永晋三先生の説(参考のYouTubuより)の比定地の位置を管理人の興味で示したものです。
撃鼓神社(げきこじんじや)/白旗山
鞍手郡誌(昭和 9 年発行版)・射手引神社社伝による神武天皇・東征の地( 東征コース T:撃鼓神社、U:白旗山)。
以下、『越境としての古代[6]』の「神武は、筑豊に東征した」より
「撃鼓神社古縁起」はすでに失われているらしい。現在(二〇〇七年八月)の宮司佐伯氏によれば、 撃鼓神社の由来は、神社名鑑に
書かれた「撃鼓(うちつづみ)神社…神功皇后三韓を平伏凱旋後、伊弉諾大神を斎き給う。征伐の砌り、志賀の浜で神楽を奏せられた。
時に祭神がその鼓笛の事を司り給うたので此の名があると云う。」の説明とほぼ同じであった。
祭神は、天太玉命、天児屋根命、天鈿女命となっていて、古社ではあるが、佐伯宮司は神武天皇までは遡れないのではないかと逡巡
されていた。昭和十九年発行の福岡県神社誌には、「創立年代太古にして不詳。神武天皇御東征に際し又神功皇后三韓御征討に當り
祈願報賽の事舊記に載せたり。」と見える。
白旗山(同) 天祖を祭られて神託を得られた靈跡
ここは、現在の撃鼓神社の上宮であり、下宮の撃鼓神社は大正十四年に同所に合併されたとある。祭神は、天太玉尊、天児屋根命、
細女命となっている。
<所在地のGoogleマップ>
<Googleマップのストリートビュー> ・・・ 撃鼓神社