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  ※ 福永晋三先生の説(参考のYouTubuより)の比定地の位置を管理人の興味で示したものです。

  勢田(せいた)=齋多(せた)


 『日本書紀 神功紀 太歳辛巳=摂政元年』の記述より

  「瀬田の済に」の原文は、「齋多能和多利珥」。

  忍熊王は「淡海の海の齋多(せた)の濟」で入水自殺を遂げた。そこは海である。王の死を確認するため武内宿禰は屍を探索する。
  その屍は菟道河に上がった。菟道河はやはり人麻呂の万葉集264番歌から分かる。
  天の物部二十五部の居住したところの八十氏河と言えば、古遠賀湾に注ぐ、現代の相当上流に当たる遠賀川の支流を指すようだ。
  例えば今日の飯塚市近辺が河口になるあたりか。そこは古代田河道、すなわち菟狭(宇佐)に至る古道の近くでもある。
  菟道河の表記に合う。
  齋多の濟が頴田町勢田(鹿毛馬神籠石の近く)と仮定すると、この淡海に沈んでも満潮時には逆流して氏河(彦山川か)に
  押し戻されることも起こりうる。人麻呂はさらに次の266番歌も詠んでいる。
  これらの歌が、29~31番歌と関わるなら、人麻呂は豊津の淡海も古遠賀湾の淡海も逍遥し、「大津の宮」と「百磯城の大宮処」
  の両京の荒廃を詠い、「忍熊王らの死」を哀傷したことになろう。         <『  宇治の京 』4ページより引用>

 『万葉集 264番』

 『万葉集 266番』


 *.当時は海に面した土地であろう地図(Flood Mapsの海面上昇:7m)と古遠賀湾(古代の遠賀川流域の推定図)は、  こちら 

 <所在地のGoogleマップ>