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  ※ 福永晋三先生の説(参考のYouTubuより)の比定地の位置を管理人の興味で示したものです。

  現人神社(字名:鮎返し)=「鯷」字考について


 ※ 福永晋三先生のタイトル『東西五月行(統一倭国)の成立』の「 資料:東西五月行の成立 」の6ページ「鯷」字考の項の中に
    豊前の国の風土記に曰はく、
     田河の郡。香春の郷。此の郷の中に河あり。年魚あり。(略) (宇佐宮託宣集)
    上記の河は、彦山川の支流、清瀬川(金辺川とも)とあり、遠賀川の支流でもある。
    福岡県田川郡香春町の 現人神社の鎮座する所に「鮎返しという字名が今日も存する。香春町郷土史会会長柳井秀清氏から
    教えていただいた。豊前国風土記の「年魚」も字名の「鮎」も元はサケであろう。
   とある。

  福永晋三先生のタイトル『魏志倭人伝と記紀の史実-「伊都能知和岐知和岐弖」考』の資料 「 魏志倭人伝と記紀の史実 」の
   24ページ都怒我阿羅斯等の記述の抜粋です。
   都怒我阿羅斯等が最初に到った国の王の名が伊都都比古なのであるから、組み合わせれば「伊都国王」が明らかに出現している。
   そこは、「穴門」すなわち今日の関門海峡を領有する国=豊国である。
   事実、豊前国香春には今も 都怒我阿羅斯等を祀る「現人神社が鎮座する(香春町の柳井秀清氏に教わった)。
   ここを辞した都怒我阿羅斯等の行った先が、本稿で詳述した「都怒我 = 角鹿 → 敦賀」の地である。
   これは都怒我阿羅斯等が最初に倭国に到り、次いで 東鯷国 にいたった記事と私は確信している。
                          (拙論「東西五月行(統一倭国)の成立」越境としての古代3)

 『日本書紀 垂仁紀』

 *.「都」は「ツ」と読む。


一に云はく、御間城天皇の世に、額に角有ひたる人、一つの船に乗りて、
越国の笥飯浦に泊まれり。故、其処を号けて角鹿と曰ふ。
問ひて曰く、「何れの国の人ぞ」といふ。対へて曰く、「意富加羅国の
王の子、名は都怒我阿羅斯等(つのがあらしと)
亦の名は于斯岐阿利叱智干岐(うしきありしちかんき)と曰ふ。
(つて)に日本国(やまとのくに)に聖皇(ひじりのきみ)有すと聞きて、
帰化す。
穴門に到る時に、其の国に人有り。名は伊都都比古(いつつひこ)
臣に謂ひて曰く、『吾は是の国の王なり。吾を除きて復二の王無し。
故、他処にな往にそ』といふ。然れども臣、究(つらつら)其の為人を
見るに、必ず王に非ずといふことを知りぬ。即ち更に還りぬ。
道路を知らずして、嶋浦に留連(つたよ)ひつつ、北海より廻りて、
出雲国を経て此間に至れり。」とまうす。(後略)


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